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3月7日雷震忌:戦時中に殺害された雷震先生の母/3月7日雷震忌日:二戰時期被日軍殺害的雷母

台湾の民主化の過程における重要な歴史的出来事の一つに、自由中国事件、雷震事件がある。台湾への撤退後、総統三連投をもくろむ蒋介石に対し、「自由中国」という雑誌を台湾で出版していた浙江省出身の雷震は、政権批判を強め、さらには野党「中国民主党」の創設を準備していたところを1960年に逮捕されたのであった。10年にわたる投獄生活を経て、美麗島事件が発生した1979年に亡くなったが、名誉回復がなされたのは2002年の民進党陳水扁政権時代であった。雷震は、早くは日本の京都帝国大学等に留学、帰国後は国民政府の高官等を務め、自由、民主、平和のために尽力したが、その母親陳氏は戦時中の1938年2月20日に日本軍によって殺害されたという(范泓「雷震伝:民主在風雨中前行」(大陸版電子書籍、広西師範大学出版社、2013年)。このように殺害日時が分かっているだけに、雷震の母親陳氏を殺害したという日本兵が、どの部隊に所属していたのか、当時はどういう状況にあったのか、その一端だけでも分からないものかと、今年の雷震忌はネット上で少し調べてみた。時間の関係により、断片的であるが、今回は以下の二師団に関するものを幾つか列挙してみる。   なお、雷震の地元については、小渓口、現在の浙江省湖州市長興県和平鎮小渓口村である。小渓口という村落自体は、小さな川を隔てた浙江省湖州市安吉県梅渓鎮小渓口村にも跨っている。小渓口は、地形から見れば、その名のとおり、西苕渓という大きな川に流れ込む小さな支流の入口という場所に位置している。そこに架かる長安橋の近くには、長安橋が安吉県の保護対象の歴史的建造物であることを説明する石碑とともに長興県と安吉県との境界を示す標識がある。ご参考までに、二年前の春に訪れた雷震の地元小渓口を撮影した動画はこちら。 https://youtu.be/ArWQGbOKfF4   1.第18師団牛島部隊 1-1.「聖戦記念 牛島部隊 第一輯:第一輯 昭和十二年 支那事変出征記念写真帖 牛島部隊特輯」(牛島部隊、三益社、1939年) この写真帖の中には「牛島部隊主要戦闘一覧表」が収められており、その表によれば、牛島部隊は1937年11月に上海金山衛に上陸後、湖州、南京等での戦闘を経て、1938年の「自一月一日至七月六日」においては「杭州付近警備」を担当し、その内、「自二月十八日至二月